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 戦国時代、鹿野は因幡国と伯耆国の境に位置していたことから、中国地方統一をめざす毛利勢と全国平定をめざす織田・羽柴勢がせめぎ合う渦中にありました。 毛利氏により出雲を追われた尼子勢は山中鹿介や亀井新十郎を中心に織田・羽柴方の最前線にあって戦い続けていました。 世に名高い鳥取城渇殺前夜、羽柴藤吉郎から鹿野城守備を命じられた亀井新十郎らは毛利勢に囲まれ四面楚歌の鹿野城をわずかの手勢で死守し、その功により亀井新十郎は鹿野城を拝領します。 「踊り見の城」は、亀井踊り(鳥取県指定無形文化財)に語り継がれいてるその時の亀井新十郎の活躍を描いた物語です。
【亀井武蔵守茲矩】(鹿野城主 1557-1612) 出雲国生まれ。尼子氏滅亡後は、山中鹿介に従い尼子再興のために各地を転戦。後、豊臣秀吉に属して戦い鹿野城主となります。関ヶ原の役では徳川方に属しています。
城下町の拡張・治水・干拓・殖産興業・御朱印船貿易など広い分野で卓抜した手腕を発揮しました。2代政矩の時津和野町に移封となります。この縁により、現在鹿野地域と津和野町は歴史的友好交流を続けています。 |
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【幸盛寺】 鹿野山幸盛寺(浄土宗) 鹿野城主となった亀井氏は、尼子家再興の盟友であり舅でもある山中鹿介の遺髪を探し出し、城下に菩提寺を建立、山中鹿介幸盛から2文字をいただき幸盛寺としました。
境内には40m近い銀杏の木が聳え立ち、その根元には「我に七難八苦を与えたまえ」の石碑とともに鹿介公の墓石があります。 |
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写真撮影:杉野昭久氏 |