じょうでんじ 少林山譲伝寺。今市の集落からはるか離れた南西譲伝寺山の麓にあります。寺伝によると1372(応安5)年笑巖宥ァが古仏谷の山の中腹に寺を建て毫王山抱月寺と号したといわれます。この抱月寺を拠点として因幡の曹洞宗は広められました。
1581(天正9)年気多郡の領主となった亀井茲矩は仏道にも深く帰依し参禅も怠りませんでした。抱月寺が山深く道が険しいため参詣に不便なことから、9世忠岳宗恕と協議を重ね、1500年代末ごろ明星が谷といわれた現在地に移りました。これから少林山譲伝寺といわれるようになりました。茲矩は譲伝寺を菩提寺と定め山林・田畑などを寄進しました。
領主を後ろ盾とした譲伝寺は曹洞宗の発展に努め、北因幡の曹洞宗の寺々はほとんど本寺に属し「曹洞宗の因幡の本山」とか「因幡に過ぎた譲伝寺」といわれるようになりました。『末寺書上』(1702〈元禄15〉年)には「直末スベテ十六ヶ寺、三十三ヶ孫末寺、又四ヶ寺但馬ニ有り、又伯州二十一ヶ寺有リ。」とあります。
18世住職は1702(元禄15)年に門や庇を修復し、1704(宝永元)年荘厳堂を造り文殊・普賢・地蔵を新刻したこと、翌年に大鐘・報鐘を鋳、鐘楼を造ったこと、1709(宝永6)年から小方丈・厨庫を新たに建てたと記しています。
1910(明治43)年庫裡から出火し本堂・庫裡など7棟を焼失しましたが、幸い本尊仏や両脇侍仏・十六羅漢像などは裏庭の池に沈めて焼失を免れました。1912(明治45)年には亀井茲矩の300回忌が仮本堂で行われ、このときに本山から「光武院殿」の院殿号が追贈されました。ところが1917(大正6)年に再び出火しこの仮本堂など6棟を焼失しました。再び再建にとりかかって新たに完成したのは1928(昭和3)年のことでした。1939(昭和14)年の開山450回遠忌報恩大授戒に際して客殿(7間4面)が寄進されました。位牌堂は1938(昭和13)年に建立され1956(昭和31)年増築されました。経堂は1943(昭和18)年の鳥取大地震で倒壊し、1953(昭和28)年に特志によって建立されました。
寺伝によると梵鐘は1651(慶安4)年に1尺8寸(約55cm)のものが鋳造されましたが音色が優れず、1705(宝永2)年に2尺9寸(約88cm)の大梵鐘が新たに鋳造されました。しかし1943(昭和18)年供出させられたため、戦後新しく鐘楼を建て新しい梵鐘を吊り落慶法要を営んだのは1953(昭和28)年でした。 |
 曹洞宗
 永平寺(福井県) 総持寺(横浜市)
 釈迦牟尼仏
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