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こうせいじ
 鹿野山幸盛寺。下町中ほどの北側にあります。寺伝によると昔は明照山持西寺と号したといい、1449〜52年(宝徳年中)に誠蓮社証誉によって開かれた浄土宗の寺で、持西山の北東の麓(宿)にあったといわれています。
 1581(天正9)年気多郡の領主となった亀井茲矩は舅に当たる山中鹿介幸盛の菩提を弔うため、持西寺を現在の地に移して寺を建て鹿野山幸盛寺と号させました。1592(文禄元)年のことといいます。茲矩はこの時「幸盛寺」と書き、額として寺に納め境内に山中幸盛の墓を建てるとともに、幸盛の甲部川の難に殉じた13勇士の墓も造りました。
 慶長のころ茲矩は不思議な夢により生家湯氏が以前まつっていた護持仏阿弥陀如来(運慶・堪慶の合作といわれる)が味野村の願行寺(鳥取市)に有るのを知って、願って譲り受け幸盛寺に納めて本尊仏としました。また湖山池の干拓のときに掘り出された明応6(1497)年の年号のある布旋仙林寺の梵鐘も寺に納めました。(1944〈昭和19〉年供出しました。)
 その後亀井氏が津和野に移封されしばらくは仏供料が送られていましたがいつしか途絶えてしまったといいます。
 1873(明治6)年本堂を西志加奴学校(鹿野小学校)に提供し、ここで鹿野の小学校教育が始められました。
 1943(昭和18)年鳥取大地震によって本堂が倒壊しましたが1948(昭和23)年再建し1972(昭和47)年には客殿も増築されました。
 境内には観音堂があり33体の観音菩薩がまつられています。これは信徒と観音講中によって寄付を集め造られたといいますが、創立年代は不明です。これも鳥取大地震で倒壊したので再建しました。

こうせいじ


 浄土宗

 智恩院(京都市)

 阿弥陀如来



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