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こうりんじ
 解脱山光輪寺。殿町の南城山の西麓にあります。寺伝によると末用にあった法楽寺とその末寺の小別所にあった宝重(寿)寺を合わせて持西山の東南の辺りに新しく寺を建てました。この寺の住職佐々木誓正(光輪寺1世)によって、1599(慶長4)年に天台宗を改宗して一向宗(浄土真宗)とし寺号を解脱山光輪寺としました。1605(慶長10)年ごろ亀井茲矩によって寺は鍛冶町の西側中ほどに移されました。光輪寺が正式に西本願寺の末寺になり木仏本尊と寺号が下付されたのは1655(明暦元)年でした。
 鍛冶町に建てられた光輪寺は縦7間(12.6m)横6間(10.8m)の萱葺でしたが、1698(元禄11)年寺地を広げて7間(12.6m)四面の本堂としました。この本堂を1745〜51年(延享・寛延)のころ焼失し、1771(明和8)年に7間四面の本堂を再建しました。ところが1857(安政4)年再び火災で本堂・庫裡を焼失したので、池田輝澄の屋敷跡に寺地を移転することを願い出てようやく翌年藩の許可を得ました。1859(安政6)年から材木を集め5年かかって1864(元治元)年に落慶法要が営まれました。その後1937(昭和12)年に庫裡の工事にかかりましたが戦時のために中断し1960(昭和35)年西本願寺光照門主の来寺の時に改めて修復されました。
 釣鐘は最初のものが使えなくなり1841(天保12)年馬の池で鋳造されたのですが、1857(安政4)年の火災によってひび割れて鳴らずの鐘となり、1887(明治20)年にようやく桜谷で鋳造され翌年撞き初め法要を勤めました。しかし1943(昭和18)年供出したため1956(昭和26)年新しい鐘を迎え翌年落慶法要を勤めました。1998(平成10)年に本堂と山門の大修理が行われ落慶法要を勤めました。

こうりんじ


 浄土真宗本願寺派

 西本願寺(京都市)

 阿弥陀如来



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