かんぜおんじ 施無畏山観世音寺。紺屋町の中ほどの町並から東に少し離れた獅子舞山の麓にあります。寺伝によると810〜24年(弘仁年中)諸国を巡っていた弘法大師が鷲峰山麓の大きな桜の一枝を取って不動尊を刻み、これを本尊として桜谷南之坊を建立しましたが、1004〜12年(寛弘年中)に郡司紀氏郷の娘桜姫が霊夢に導かれて桜の木で観世音菩薩の尊像を刻んでこの寺に安置し施無畏山観音寺と称したといいます。この寺が現在地に移ったのは1617(元和3)年に日置豊前守が城の鬼門の鎮めとしてここに移したのだといわれています。観音寺は祈祷で知られ、藩主池田光仲の治世には雨乞いや長雨を晴らすこと、また大風の害を防ぐことなどを命じられています。1862(文久2)年には火事で堂宇を焼失し1871(明治4)年にようやく再建されました。1906(明治39)年観音寺という寺号を観世音寺と改めています。
現住職は1979(昭和54)年住職となって以来中国との友好を心がけ度々中国の寺を訪れています。また本堂・庫裡の大修復を行い1982(昭和57)年には広島から東京まで托鉢行脚を行って鐘楼を修理して釣鐘を新しく造りました。1992(平成4)年には涅槃堂を建立して涅槃像や千手観音像2体をまつり、特志家によって大きな釣鐘が鐘楼とともに奉納されました。1993(平成5)年には観音立像を建立、その後薬師堂も建立されました。境内には子安地蔵・水子地蔵・7枚の石板に刻まれた七福神やいろいろな石仏が並び寺全体が中国風の色彩や配置になっています。 |
 高野山真言宗
 金剛峰寺(和歌山県)
 観世音菩薩
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