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うんりゅうじ
 凌泰山 雲龍寺。寺伝によると、1590(天正18)年に譲伝寺第9世忠岳宗恕和尚が隠居して、むかし郡司紀氏常が獅子舞山下に建立したという涅槃寺跡に寺を建て涅槃禅寺と号し、領主亀井茲矩に供田百余畝を賜ったと記されています。
 1617(元和3)年亀井氏が津和野に移り池田光政が因伯の藩主となり鹿野城は家老日置豊前守忠俊が守ることとなりました。忠俊は涅槃禅寺の位置が城の鬼門にあたるのでここに真言宗の寺を建てたいと考え、涅槃禅寺は替地として与えられた口水谷に移り仰雲山凌泰寺と改号しました。1632(寛永9)年池田光仲が藩主となり、1636(寛永13)年に本長寺の跡地(現在の雲龍寺の場所)を当寺の版饒晃禅がいただき、ここに寺を移して補陀山千手寺と改号しました。1640(寛永17)年池田輝澄(藩主光仲の叔父)が鹿野に移された時、輝澄は弟政綱(雲龍院殿梵良秀音大居士)の位牌を今市の松月寺(現松泉寺)に納めました。(このために松月寺を雲龍院と呼んでいました。)1660(万治3)年住職晃禅が鳥取の景福寺に移ると今市雲龍院の僧洛翁嫩京が5世住職として千手寺に迎えられました。この時雲龍院殿の位牌も千手寺に移し菩提寺とし寺号も凌泰山雲龍寺と改めました。6世住職の時に本堂や庫裡その他の建物が整備されて1688(元禄元)年落成しました。 『鹿野筆縋』『鹿園白妙集』など鹿野の昔を知る貴重な資料が伝わっています。

うんりゅうじ


 曹洞宗

 永平寺(福井県) 総持寺(横浜市)

聖観世音菩薩



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