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 小式部内侍の父は和泉(いずみの)守橘(かみたちばな)道貞(みちさだ)、母は和泉(いずみ)式部(しきぶ)です。小式部内侍は幼いころから和歌を詠むのがうまかったといわれます。そして母とともに上東門院(じょうとうもんいん)にお仕えしますが、間もなく母は丹後(たんごの)守(かみ)藤原(ふじわら)保昌(やすまさ)と再婚して夫の任地丹後に行きますが、内侍はそのまま上東門院にお仕えしていました。
 内侍が年にあわない上手な歌を詠むことから、内侍の歌は母が手なおししてやるからあんなに上手な歌が詠めるのだといううわさが広まっていました。
 ちょうどそのとき宮中で歌会がありました。歌会の始まる前、中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわら)定頼(さだより)が「内侍、丹後から手紙(式部の直した歌の下書き)は来ましたか。」とからかったようです。
 このとき内侍がすぐに詠んだのが「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」の歌で、この歌で内侍の和歌の才能が天下に広く認められたといわれています。
 この小式部内侍は、和泉式部が鹿野の水谷の里、住吉大明神にまいり、安産と生まれる子供の行く末を祈って一七(いちしち)日(にち)のおこもりをし、その満願の日に生まれました。このとき産湯を使ったという井戸が住吉大明神の西の麓、水谷川のそばにあります。


 

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